高校生の頃、数学が得意だった。
でも、「数学」について語る訳ではない。今ではもう全部忘れてしまったかな。。
小さい頃、父親に
「1+1=2 だけど、『3』ってこともあるんだよ」って人生話的
に聞いたことを記憶している。
どのタイミングで聞いたのかは定かではない。でも、自分の中では
『あたりまえ』ということを、なんだか否定的に捉えた記憶として残
っている。
そして現在、この『あたりまえ』という言葉はあまり好きではない。
最近このことについて、自分自身として何か理解できたような気が
したので書いてみる。
確かに、1+1=2 である。
でも、自分の言った、相手の言った、今見た『1』は本当に
『1』ですか?
もしかして、『1.1』ってことはないですか?いや、そうではない
『0.99』かもしれない。。。
1.1+1.1=2.2。 0.99+0.99=1.98。
1.1+0.99=2.09。
父親の言う『3』までは言わないけど、『2』は、『2』でも、
うえのように、多様に『2』が存在する。
自分自身の環境・状況・背景などによって、どこまでこの『1』と
いう数字のケタ
を見ること・見つけ出すこと・考えること・思いやることができるか?
またこれらを理解し、逆に、適当に・大まかに・寛容的に考える
ことができるか?
そういうことなのではないか?
自分を思い返してみる。。
忙しくて、余裕がなくて『1』を単に『1.0』として、もしくは『0.99』
くらいでしか見ることができないことも多々ある。
でも単に、『1』をいつも『1』としてしか見えないことは自分自身ない。
と思っている。
なぜなら 『あたりまえ』 という言葉が、あまり好きではないから。
『あたりまえ』 ということはない、と思っているから。
『1』をもっと、『1.000000000001』や、
『0.9999999999999』ときには、
『1.4』!や、『0.6』! それは『1』なのか?
ということだってあるんだぁ。
と思っている感も否めない。。
これは時と場合によって控えないといけないが。。
ryo- とも、いつかこの気持ちを共有したい。
もちろん今ではなく、いつか。。
なんとなく自分自身の感覚として持ってもらいたい。
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